翻訳インタビュー「トランスポット」

   

出版翻訳家
羽田詩津子さん

人気の長寿シリーズを翻訳できたのは
若い頃の読書体験と拾った子猫のおかげ

幼少時代から本を読むのが好きで、いつしか翻訳家になりたいと思うようになっていたという羽田詩津子さん。学生時代にも翻訳修業時代にも、たくさんの本を読んだそうです。勤めていた会社を辞め翻訳家に専念した駆け出しの時代のことや、代表作の1つでもある「シャム猫ココシリーズ」への思いなど、お話をお伺いしました。

学び始めて2年で翻訳家デビュー

  • 翻訳者になった経緯を教えていただけますか。

    羽田さん

     子供の頃から本を読むのが好きで、イギリスのファンタジー作品などをよく読んでいました。本好きが高じて、いつか自分でも訳してみたいなと思うようになり、大学は英文科に進みました。しかし、英語を勉強したからといってすぐに翻訳家になれるわけではありません。大学卒業後は一般企業に就職して、社内報の編集の仕事をしていました。勤め始めて2年ほど経ち、仕事にも慣れてきた頃に、週1回、翻訳学校の出版翻訳講座に通うようになりました。学校には2年間ほど通ったでしょうか。担当講師の紹介で、大手出版社が新たに手がける若者向けの翻訳書シリーズをクラスの何人かで訳すことになったのが最初の訳書になりました。

  • 学び始めて2年で翻訳家デビューされたのですね。

    羽田さん

     本格的に翻訳学校に通い始めてから2年でしたが、実は大学時代にも半年間だけプロの翻訳家に翻訳を学ぶ授業がありましたし、大学の先生に頼まれて下訳をしたこともありました。英文科でしたので原書を読んで内容をまとめたりもしていましたし、翻訳学校に通い始めてからは、リーディングを頼まれてシノプシスを書くこともけっこうありました。当たり前のことですが、リーディングや翻訳を頼まれたときに、原書1冊を読み通す英語力がないと、プロとしてはやっていけません。そういう下地を学生時代や翻訳学校に通っていたころにしっかりと固めておいたことがよかったのだと思います。

  • 会社は辞めずに、翻訳者の仕事と兼業されていらしたのですか。

    羽田さん

    羽田さんインタビューの様子

     はい、会社が終わった平日の夜や土日をつかって翻訳の仕事を進めていたので、友人と遊ぶ暇も全然なかったです。ヤングアダルトの本を何冊か訳させていただきながら、他にも出版社のオーディションを受けて、ゲーム本のシリーズなども訳していました。仕事はぽつぽつとある程度で、食べていけるだけの収入があったわけではないのですが、翻訳が楽しい、もっと勉強したい、という気持ちが強かったので、それから間もなく会社を辞めて翻訳に専念することに決めました。専業になったとはいえ、仕事が次々と来るわけではありません。時間がいっぱいあったので、この時期にもたくさん本を読みました。

     この頃は、リーディングの仕事もたくさん頼まれたり、自分で未訳の洋書を見つけてシノプシスを書き、出版社に持って行ったりもしましたが、実績のない新人に、向こうから仕事の依頼が来るはずもありません。シノプシスを読んでもらうことで読解力や文章力などは示せますし、熱心さもアピールできますから、積極的に持ち込んでいましたね。持ち込んだ本が出版に至ったことは残念ながらありませんでしたが、別の本の翻訳のお仕事をいただけるようになっていきました。

全29巻にもおよぶ「シャム猫ココシリーズ」の翻訳

  • その後、全29巻にもおよぶ「シャム猫ココシリーズ」を翻訳なさっていますね。

    羽田さん

    『猫は殺しをかぎつける(早川書房)』の書影

     はい、このシリーズに出会えたことはとても幸運でした。仕事を始めて4年目くらいの頃だったでしょうか。あるとき編集部に行ったのですが、ちょうど拾ってきた子猫を飼い始めたばかりで、腕がひっかき傷だらけだったんです。編集者さんに「どうしたんですか?」と聞かれたので、説明すると、「羽田さんって猫好きなんですね。ちょうど猫のシリーズの翻訳者を探しているんですが、やりますか?」と言われて。新しいシリーズで4冊続けて訳せる人を探していて、新人の私にはたっぷり時間があったので「ぜひ、やらせてください」と引き受けました。最初はあまり売れなかったようですが、4冊そろった頃から人気が出はじめて、それから年に2冊、後に著者のペースが落ちて年1冊になりましたが、1988年から2007年までの19年間で合計29冊を訳させていただきました。今よりも翻訳書のシリーズものが多く出ていた時期でラッキーだったということもありますが、チャンスが巡ってきたときに、そのチャンスをものにできる準備をしておくことは大事だと思います。 残念ながら2011年に著者のリリアン・J・ブラウンさんが97歳で亡くなられ、全29巻で終わってしまいました。

  • シリーズものを訳す楽しさというのは何ですか?

    羽田さん

     シリーズものというのは、ストーリー以外にも、登場人物の人間関係、主人公の成長、人生の変転といった読みどころがあります。言ってみれば、訳している自分も主人公と一緒にその人生を体験しているようなところがあるので、シリーズが長くなればなるほど思い入れも深くなっていきました。 それに、たまたまですがこのシリーズは私にとても合っていたんだと思います。ほのぼのとしたコージーミステリーで、猫が事件を解決していきますが、猫がしゃべるわけではなく、ちょっとした仕草で事件解決の手がかりを教えるんです。実は、仕事をいただくきっかけになったうちの猫は、シリーズが終わる直前まで生きていて、この作品を訳すときはいつもそばにいて、パートナーとして支えてくれていたんですよ。

学習中の時間がある時期にたくさん本を読んでほしい

  • ミステリーを中心に数多くの作品を翻訳なさっていますが、エンターテインメント作品を訳す際にどのような点に気をつけていますか?

    羽田さん

    羽田さんインタビューの様子

     そうですね、作品の持ち味をできるだけ生かすように心がけています。では、作品の持ち味は何か、ということになりますが、例えば「シャム猫ココシリーズ」であれば登場人物がその一つだと思います。主人公はクィラランという中年の元新聞記者なのですが、作品の中からクィラランの描写を正しく読み取り、それを自分の中でイメージ化しました。翻訳する人によって作品の解釈は違ってくるかもしれませんが、翻訳者として任された以上は、私なりのイメージをまず作り上げます。頭の中には私の想像するクィラランがいて、彼にセリフをしゃべらせるつもりで翻訳していきました。
     作品によって何が持ち味かは異なるでしょうが、それを英語で読み取る力、さらにそれを解釈する力が非常に重要になってくると思います。

  • 先ほども多くの本を読んでいたというお話がありましたが、そこでも解釈力がついたのでしょうね。 ちなみに羽田さんは日頃どのような本を読んでいるのですか?

    羽田さん

     ニューヨーク・タイムズのブックレビューやアマゾンの購入歴から個別に届くおすすめ商品をチェックして、面白そうなものがあれば出版社経由で手に入れたり、購入したりして読んでいます。面白ければ、そのままリーディングをすることもあります。和書のほうは、ミステリーの書評を書く仕事をしているので、やはりアマゾンや読書家の方のブログなどを見ておもしろそうな作品を選んで月に何冊か読んでいます。

     学習中の方へお伝えしたいことは学習中の時間がある時期にたくさん本を読んでほしい、ということです。仕事が始まると、なかなか時間を確保することが難しいですから。それと、映画にもたくさん触れてほしいです。昔通っていた翻訳学校の先生が「翻訳者は耳がよくないとダメ」と言っていましたが、耳から入ってくる原語のセリフのリズムを吸収しておくことは、よい日本語の表現を目指すうえで大きな助けになると思います。

作品の持ち味を生かしながら翻訳するために必要なのは、「解釈力」

  • 以前フェローで「原書読解トレーニング」という講座をご担当いただきましたね。 これは羽田さんご自身の発案で実現した講座だとか。

    羽田さん

     はい、そうなんです。春のオープンセサミのレッスンで「アガサ・クリスティの翻訳教室」という講座を担当させていただいたのですが、そのときに受講生の方から「どのくらいの英語力があれば翻訳できますか?」という質問を受けました。そこで改めて考えてみたのですが、翻訳を学習しているときでも、自分で意識しないかぎり、本をまるごと一冊読む機会ってあまりないな、と思ったんです。課題では長い作品の一部しか取り上げませんから。翻訳者になるには、英語の読解力がないと話になりません。私自身を振り返ってみると、大学時代から原書を何冊も読んでいましたし、シノプシスも書いていました。そういう読書トレーニングのきっかけとして、3カ月で3冊の本を読み、みんなで意見を出し合いながら作品を解釈していく講座を思いついたんです。

  • どのような講座だったのか、内容を少し教えていただけますか?

    羽田さん

     全部で4回の講義ですが、1回目の講義で原書の読み方やシノプシスのまとめ方についてお話しします。課題となる3作品は、私がこれから訳す予定のものなのですが、最初の1冊は比較的短めのイギリスのコージーミステリーを選びました。2冊目はジェーン・オースティンの『自負と偏見』をもとにした小説でやわらかい内容なので楽しんで読み進められると思います。3冊目は現代アメリカの作品で、生と死をテーマにしたヒューマンタッチの作品です。
     プロになるためには、英作品でも米作品でも、またどんなジャンルでも、門戸を広く開いておくことが大事です。自分の好きなジャンルがあるとしても、それに絞っていくのは仕事がいろいろと来るようになってからのこと。仕事のチャンスが巡ってきたとき、何でも引き受けられるように、さまざまなタイプの本を読んでおくことをお勧めします。そのトレーニングの意味もあって、なるべく違ったタイプの本を選んでみました。

     原書を1冊読むということを想像したときに、「自分の英語のレベルではちょっと無理」と思う方には難しいと思いますが、「頑張れば何とか読めそうかな」と思える方ならどなたでも大丈夫です。今回は翻訳の講座ではないので、まだ一度も翻訳を学んだことがない方でも問題ありません。また、先に質問をしてくださった方のように「自分の英語力はどのくらいか確認したい」という方、あるいは「翻訳の勉強をしてきたが、そろそろ仕事がしたい」と思っている方に受けていただくと、ご自身の原書読解力のレベルをはかるよい機会になると思います。

  • 翻訳家として、今後訳してみたい作品などありますか?

    羽田さん

    猫のシンパ

     あと何年仕事ができるかわかりませんが、体力があれば20年くらいは続けたいと思っています。「シャム猫ココシリーズ」は19年で終わってしまいましたが、そんな長く続くシリーズに巡り会えればいいなと思います。

     それから、若い頃にヤングアダルトの作品やゲーム本を訳したように、その年代に合った仕事というものもあると思います。例えば今度担当する「原書読解トレーニング」の課題の3作目は、出版社の方は若者向けの作品だと思われたようですが、私がリーディングしてみると「生と死」がテーマになっていました。若い方にも読んでほしいのですが、生と死をある程度経験した、人生も半分を過ぎた人が読むと胸打たれる作品だと感じたんです。そういう解釈ができるのも、私自身がそういう年齢に達したからこそ。今だからこそ深く理解できる作品を訳していきたいと思っています。

【編集後記】
猫を飼い始めたという羽田さんの腕には、この日もひっかき傷が大量についていました。ついつい、また新しい「猫シリーズ」が誕生するのでは(!?)と期待してしまいました。年齢を重ねればさらに深い翻訳ができるというのも、この仕事の魅力ですね。今後の羽田さんの翻訳書がますます楽しみです!

羽田 詩津子さん
プロフィール
羽田詩津子のプロフィール写真

出版翻訳家。主な訳書に『アガサ・レーズンの不運な原稿』(原書房)、『〈協定〉』『アクロイド殺し』『猫的感覚』(早川書房)、『歴史の証人ホテル・リッツ』(東京創元社)、『夜の動物園』『ハイド』(KADOKAWA)、『毒親の棄て方』(新潮社)など多数。著書に『猫はキッチンで奮闘する』(早川書房)。

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