翻訳こぼれ話

小説、ノンフィクション、児童書……フェローの講師や受講生が手がけた翻訳書にまつわる貴重なエピソードをご紹介。これを読めば本が2倍楽しめること間違いなし!

今回の作品
『ピュリツァー賞 受賞写真 全記録』

今回は、河野純治先生が翻訳を手がけた『ピュリツァー賞 受賞写真 全記録』をお届けします。受賞写真を網羅しただけではない本書の魅力について、またノンフィクション翻訳や調べもののコツなどについて、河野先生にうかがいました。
  • ハル・ビュエル【著】デービッド・ハルバースタム【序文】河野純治【訳】
    日経ナショナルジオグラフィック社

    <梗概>

    アメリカでもっとも権威ある賞のひとつ、ピュリツァー賞。目をそむけたくなる写真から、ほほえましい写真、思わず見入ってしまう写真まで、本書はその受賞全作品を編年で紹介する。また、撮影した写真家本人のことばや撮影時の状況、写真に対する反響、機材のデータや写真技術の移り変わり、さらには背景理解のための同時代の出来事などを詳しく紹介することで、アメリカが見た世界の近現代史をうつしとる。

くせのない文章による詳細な解説、周辺情報の豊富さで、
読み物としても楽しめる作品

  • まずは本書の紹介をお願いします。

    河野先生

     ピュリツァー賞というのは、アメリカ国内で前年に発表された優れた報道・作品に授けられる賞で、本書はそのタイトルのとおり、1942年から2011年までのピュリツァー賞受賞写真を紹介した写真集です。本書の最大の特徴は、作品ひとつひとつに、ひじょうに詳細な解説が付されているところでしょう。写真が撮られた経緯、時代背景、関係者の証言、撮影者や被写体となった人々のその後、作品の報道における意義などのほか、ピュリツァー賞写真部門の歴史、写真やカメラの技術革新の歴史についても詳しく書かれています。
     ニュース速報部門では、戦争、災害、事故、血なまぐさい事件などの写真が多いのですが、特集部門の写真では、涙なくしては読めない人間ドラマなどもあって、読み物としてもじゅうぶん楽しめる一冊となっています。

  • 翻訳で苦労なさった点はどこでしょうか。

    河野先生

     著者のハル・ビュエルは報道畑の人なので、文章そのものは特に癖もなく、ひじょうに読みやすいのですが、やはりニュース記事などと同様、短い文にいくつもの情報が盛りこまれているため、訳文をコンパクトにまとめるのに苦労しました。訳す段階では特に文字制限はありませんでしたが、原稿提出後、文を短くするため、「カメラマン」→「写真家」など表現を変えたりした部分はあります。
     フィクションの場合、なるべく原文の流れを崩さないように前から順に訳しおろすのが基本ですが、ノンフィクション、特に今回のようなニュース記事に近い文章では、その手が使えないことも多いのです。そういうときは、内容を整理したうえで、日本の新聞や雑誌ならどんな書き方をするかな、と考えながら訳文を作ることにしています。
     とはいえ、フィクションとノンフィクションとで大きく訳し方を変えるようなことはしていません。英語に特徴的な比喩についても、フィクション・ノンフィクションともになるべく原文の比喩を生かすようにしています(もっとも今回は文章の性質上、ほとんど暗喩はなかったように思いますが)。そのなかで、比喩というより慣用句に近い表現の場合は、フィクションでもノンフィクションでも意味を直接出すようにしています。

  • 先生のなかで特に印象に残っている写真があれば教えてください。

    河野先生

     1984年の特集部門の「追憶」と題する作品です。戦没者追悼記念日に、ひとりの女性が墓石をしっかりと抱きしめている姿は、単純明快ながら、しばらくじっと見入ってしまうほどで、いちばん感動した1枚です。この本の中でいちばん解説文が短かったページでもあります。

  • 情報量の多い本なので、調べものがたいへんだったのではないでしょうか。

    河野先生

     時代背景を伝えるために、写真が撮影された年の出来事を月ごとに紹介するコーナーがあって、その確認がちょっと面倒でした。有名な映画が上映された年月日、メジャーリーグで新記録が達成された年月日など、できる範囲で確認しましたが、ときどき、一年ずれていたり、月が違っていたりしたので修正しました。
     インターネットはひじょうに便利で、概要をつかむためにWikipediaなどを使っていますが、たまにガセネタが含まれていることもあるので、事実の確認には新聞社のデータベースや百科事典など、安全確実な情報源を中心に使うようにしています。テーマが決まっている場合は、関連書籍を何冊か読んでおきます。資料として使える索引付きの本がいいですね。 それと、調べものを始めると、調べがつくまで延々とネットサーフィン状態になってしまって仕事がぜんぜん進まないことがあります。そういうときは付箋でも付けておいて先に進むことが大切です、と自戒をこめて言っておきます。先に進んだら答えが書いてあった、なんてこともよくありますから。

  • Pulitzerの日本語表記はいろいろ割れているようですが、「ピュリツァー」にした決め手はどこでしょうか。

    河野先生

     今回は編集者から「ピュリツァー」でお願いしますと言われたのでそれに従いました。 ふだんは、日本のマスコミで最も一般的な発音・表記を採用しています。表記が割れているものに関してはNHKのニュースを基準にします。マスコミに出てこない固有名詞については固有名詞辞典や発音辞典を調べ、それでも不明なときは電子辞書などの部分一致・後方一致検索などで部分的に同じ綴りの固有名詞を探して、その発音を参考にします。調べのつかない発音に関しては、外国語の読みあげソフトを使った発音サイトを利用する手もあります。YouTubeや報道機関の動画なども参考になりますね。

  • 最後に、学習中のかたへメッセージをお願いします。

    河野先生

     今のうちに読んで読んで読みまくり、「インプット」を蓄えておきましょう。よく言われるように、日本語の文章力はその人の読書量に左右されるので、できるだけ多くの良書を読んで、表現の幅を広げておいたほうがいいと思います。
     フェローではベーシック3コースから始まって、最終的に出版翻訳コースのゼミに至るまで、何人もの先生にお世話になりましたが、その間、先生方の訳書を読んでは、訳文を研究したものです。じっさいに仕事を始めてしまうと、関係資料を読むのに時間をとられて、なかなか本も読めなくなりますから、今がチャンスだと思って、多読に時間を当てましょう。

河野純治先生のプロフィール

出版翻訳家。『悪魔の日記を追え FBI捜査官とローゼンベルク日記』(柏書房)、『不屈 盲目の人権活動家 陳光誠の闘い』(白水社)、『中国安全保障全史』(みすず書房)、『イスラエル秘密外交』(新潮文庫)、『ピュリツァー賞 受賞写真 全記録』(日経ナショナルジオグラフィック社)、『ぼくはいかにしてキリスト教徒になったか』(光文社)など訳書多数。

<編集後記>

「写真家の視点での解説」を特徴とする本書を読んで、ふと、戦争写真家ロバート・キャパの自伝『ちょっとピンぼけ』が頭に浮かびました。1994年のピュリツァー賞受賞作品「ハゲワシと少女」で物議をかもした写真家の倫理観ですが、キャパがたびたび自虐的に語る戦争写真家としての葛藤や悲哀が、『ピュリツァー賞 受賞写真 全記録』を読んですこしだけ深くわかった気がします。ご興味のあるかたは本書とあわせてぜひ。
(written by Takasaki)

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